Saturday, September 26, 2009

ワディラム!!!

8月25日朝、ヴァレンタインインからワディラム行きのバスに乗る。6時20分には出発なので、5時40分に起きる!!8時半につくも、ツアーは10時かららしく、オフィスで寝た。
4WDにのって砂漠を走り出す。
途中ロレンスの泉というスポットへ。崖の上に泉があるらしい。岩を登っていく。眺めは最高である。
上までたどり着くと泉が待っていた。少しながら水がある!!!
うーんきれいだ。タクヤさんはこれを見ながらナウシカのテーマを聞いていた。確かに景色に合う!準備いいな!
ベドウィンのガイドがラクダに餌をあげる。

同じグループにはタクヤさんとオランダ人の女性と若いスペイン人の夫婦がいた。

砂の坂を登ろうとしたが足が砂の中に埋まってしまう。靴を脱ぐと砂が熱くて歩けない。。。でもタクヤさんはすたすたと上まで行っていた・・・。
この岩場を登ると・・・・
岩の橋にたどりつく

風も吹いていて、落ちたら死ぬのかななどと考えると足もすくむ。。。
一通り回った後はテントへ。荷物を置いて夕食までの間一休み。周りを散策。
夕食は地面に掘った窯で作る。さすがベドウィン、火をおこすのは馴れた手つきだった。
夕食ができるまで時間がかかる。外で岩に座りながら日没の様子を見る。太陽の動きは思ったより早い。
テントの中で夕食。鶏肉や野菜を蒸し焼きにしたシンプルなものだが、おいしかった。食事をしながら同じグループの人達と英語で話をした。オランダ人女性は、以前東アフリカなどもいったことがあるらしい。ナイロビはクレイジーな町だ、と言っていた。タクヤさんはこのあとアフリカに行くので、熱心に話を聞いていた。
 アフリカなんてとても遠くの話だと思っていたが、ヨーロッパに住んでいる人にとってはわれわれが東南アジアなどに行くような感覚でアフリカに行くことができるのだろうか。アフリカにもいつか行ってみたいなと感じた。

夜は、テントの中から布団と毛布を引っ張り出し、砂漠の上に直接敷いて、夜空を眺めながら寝た。満天の星空がきれいだったと言いたいところだが、星が少し曇っている気がした。温度の関係などあるのだろうか、澄んだ空ではなかった・・・。でも星を見ながら眠るなどかなり貴重な体験である。砂漠の夜は寒いというのも体感できた。ワディラムは外国人向けの観光地なので値段も高く、行くのを迷っていたが来て本当によかった。

Wednesday, September 23, 2009

ペトラへ



8月24日、またファンの故障した部屋なので、朝早く目が覚めてしまう。9:30にセルビスにのり、バス―ターミナルへ行く。ペトラ行きのバスをさがす。歩き方には、ペトラ行きのバスターミナルにはぼったくりが多く、2.75JDで行けると書いてある。さっそく待っているバスに乗ると5JDだと言われた。すぐ出発するようだ。値切ろうとしたが、集金係は全く負ける様子はない。今日中にペトラを見なければならないので、仕方なく、このバスに乗った。3時間程バスに乗り、ワディムーサの街につく。ヴァレンタインインにチェックインし、歩いて遺跡の入口まで行く。

ペトラの遺跡内は、かなりの距離を歩いた。途中、ラクダやロバに乗らないか、といってベドウィンが話しかけてくるのを無視しながら歩いた。上のほうににエドディルがあり、さらにその先に展望スポットがあったのだが、その場所を見てまだこんなに歩くのかと思い断念した・・・。

水を一本しか持っていかなかったので、途中でなくなってしまい、ベドウィンの売店で買うことに。1.5Lの水が2JD(≒2ユーロ)もした!!こんなことならちゃんとワディムーサで買っておくべきだった。。。。

帰り、ベドウィンと石でキャッチボール(?)してあげたら、「店にこい、お茶を出してやる」「ホスピタリティーだ」といって店の中に案内された。お茶を飲みながら、握手をすると向こうが強く握ってきた。不利な手の形だったので、一回仕切りなおして、握力勝負をすることに。。。。しまいには両手で別々のベドウィンの相手をすることになり、無駄な体力を消耗した・・・。まあ負けてないのでいいだろう。 ベドウィンは「時計交換しないか」や「財布交換しないか」など、面倒くさいことをしつこく言ってきたが、適当に流し、もう時間だといって切り上げた。」

宿に戻るとカズヤさん、タクヤさん、まことさん、ぞのさんが来ていた。ねばって3JDで来れたらしい。夕食はヴァレンタインイン名物(?)のバイキング形式の夕食だ。たくさんメニューがあるわりには、これといっておいしいものはなかったが・・・・。

Tuesday, September 22, 2009

エルサレムで休養、そしてアンマンへ。


8月22日、病院から戻って寝ていたが、早朝から何度も下痢で目を覚ました。リュウ君がコーンスープとパンを買ってきてくれて、それを食べた。午前中はずっと寝ていた。午後、鶏肉のスパゲッティを食べて少し元気が出てきたので、オリーブ山にいき、エルサレムの日没を見に行った。



8月23日、結局6泊もしてしまったこのアルアラブホステルともお別れ。少しボケたお爺さん。勝手に部屋に入ってきたり、冷蔵庫に入れてあるミネラルウォーターを勝手に飲んで水道水にしてしまう従業員。ドリルで壁に穴をあけられたようになっている、きたないトイレともお別れである。体調を崩して療養するには恐ろしく悪い環境であったが、なんとか下痢もおさまった。




 アンマンへと向かう前に、まだ行き残していた聖地である、聖墳墓教会へといった。これでキリストが生まれた場所も死んだ場所も見れたことになる。






10:30にタクヤさん、タキさん、まことさん、ぞのさんとともに、アラブバスステーションより、アレンビー橋へと向かった。33NIS。






イスラエルの出国は恐ろしく簡単だった。出国税161.5NISを支払い、JETTバスに乗ってヨルダン側の国境へ。そしてタクシーでマンスールまで行った。




ラマダンに入ってしまったため、食べ物屋が開いていない。しかし、タクヤさんが以前食べに行ったという、インド人が経営するカレー屋は開いていた!!店内では店員と客が何か喧嘩していて気まずい空気だったが、ビーフカレーを注文。肉はとろとろで、1.75JDにしては食わせる!!






できたらこの日中にペトラに行きたかったが、バスがないと言われ、しぶしぶマンスールに泊ることに。またファンの壊れた寝ぐるしい部屋だった。夜は、カズヤさん、タクヤさんとともに、シーシャを吸いに行った。

Monday, September 21, 2009

エルサレムで深夜の病院へ・・・

8月21日体調も回復したように思われたので、スコープス山にあるヘブライ大学まで、歩いて行く。歩き方によれば学食を安く食べられるらしい。宿を出てから1時間以上歩きキャンパスへとたどりつく。人文系のキャンパスなので、案内には哲学や歴史、言語などが書いてあった。この大学に留学とかどうなんだろうと考えながら歩き、学食を目指す。 しかし・・・・夏休みということで学食は開いていなかった・・・
おなかもすいたので、死海に行くときに使ったバスステーションまで、バスで行き、シシケバブと思われるものを注文肉はカレー風味でおいしかったがポテトがあまりおいしくなかった。宿まで歩いて戻ったが少し気持ち悪いので寝る。


今日は金曜ということで、嘆きの壁にはいつもより多くの人が集まる。毛皮の帽子をかぶった正統派も続々と登場する。そして揺れながら祈る。 リュウくんと一緒にそれを見ていたらユダヤ人のおじさんが話しかけてきた。以前日本で劇団に入っていたらしく、長い一つの台詞をなんども繰り返してきた。ユダヤ教に関する講義をしてくれたが、いまいち意味がよくわからない。そのうえ理解しているかどうかいちいち聞いてくるので、若干めんどうくさかった・・・。
イスラームではラマダンに入ったらしく、街には電球が飾られている。

そして、宿に戻る道のりでだんだん気持ち悪くなってきた、、、宿に戻りトイレで戻してしまった。。病院に行ったほうがいいと言われたので、保険にも入っていたことだし、病院に行くことにする。病院はリュウ君が調べてくれて、病院にも付き添ってくれた。ほんとありがとう!!!

医者はアラブ人でちょっと高そうな時計を付けており、アラブの貧しい民から巻き上げて贅沢してるんだなぁと思った。というかこの病院は看護師も男で、アラブのチンピラみたいな顔をしていた。。すごい人種差別的な発言かもしれないが、商店などで、しつこく話しかけてきたりぼったくったりするアラブ人を見てきたせいか、みんな胡散臭く見えてしまう・・・。結局点滴だけうってりゃ治るといわれ、特に薬はもらわなかった。治療費は最初500NISだと言われたのであるが手持ちのNISがなくユーロしかなかった。そうしたら100EUROだと言われた。おいおい値段上がってますが!! 治療費って恣意的に決まるんだな。 まあ保険だからいくらでもいいけど、、、

というわけで、イスラエルで病院に行くという貴重な体験をした。

Sunday, September 13, 2009

パレスチナ自治区へ

8月20日、下痢もひとまずおさまったようなので、リュウ君、タクヤさん、ワタルさんとともに、パレスチナ自治区にある、ベツレヘムとヘブロンに行く。
岩のドームは閉まるのが早く、まだ見れていなかったので、朝一で見にいった。テレビや写真などでよく見る、金色のドームがそこにあった。よく見ると壁のタイルは奇麗だったが、ドームは意外としょぼいなと思った。 中に入ろうとしたが、ムスリム以外お断りだった。。




 ダマスカス門を出て、アラブバスステーションからベツレヘム行きのバスに乗る。6NIS。ベツレヘムでヘブロン行きのバスに乗り換え、5NIS支払う。バスには故アラファト氏の写真が貼ってある。。。




ヘブロンに着いて、ちょうどおなかが減ったので、ケバブ屋に入り、ミンチ肉の串焼きを注文。ルーマニアのミティティに似ている。店の人はとても親切だった。





情報ノートによれば、ヘブロンはユダヤ人入植者たちによって、パレスチナ人がひどい扱いを受けているのがわかる街ということだった。ユダヤ人が2階に住んでいて、ゴミを下に投げるので網がはってあり、そこにゴミがのっていると・・・。


 残念ながら見た感じでは、そんな風には見えなかった。アレッポやダマスカスも街には結構ゴミが捨てられていたが、それと同程度のものであった。現地の人が建物を案内してくれて、これはイスラエルの爆弾でやられた部屋だと教えてくれた。また屋上にある水を入れるタンクにイスラエル軍が穴をあけて行ったといって穴を見せてくれた。案内してくれた人やそれに付いてきた子供たちはDVDやパレスチナの旗の模様のビーズ細工をしきりに買うように求めてきた。つい、ビーズ細工を買ってしまったが、このように外国人が来て同情して何か買うというのは、あまりよいことではないだろう。特にパレスチナの子供たちが、憐みでお金をもらうようなことを覚えてしまうのはよくない。本当に生活を改善するために戦略的に考えられるように教育しないと、いつまでたってもイスラエルの中で、このような生活を続けるのだろうなと感じた。

さてヘブロンの見どころとしてアブラハムモスクがある。アブラハムの墓に作ったモスクらしい。そこに行くのに、チェックポイントがあり、そこを通過しなければならないが、兵士が13時まで待てとかわけのわからないことをごちゃごちゃ言ってきた。明らかに嫌がらせだ。こんなところでもいちいちチェックするのは税金の無駄遣いだろう。





モスクを見たあとはベツレヘムへと向かう。 キリストが生まれた場所にある教会である。中をいろいろと見ていると、日本語が聞こえてきた、5人位のツアーらしく、ガイドが解説をしていた。聞いてみると、キリストが生まれた場所は馬小屋だと思われているが、聖書にはそんなことは書かれていない、と力説していた。ふむふむと思い、先を聞くと「実はロバだったのです!!」と言うではないか!!! なんなん!!!そんなに重要かそれ!そこまで引っ張ってロバかよ。やっぱりガイドなんかいらないなと思った。










結局、パレスチナ自治区に行ったものの、分離壁を見ることができなかった・・・。まぁ体調が万全じゃなかったということで。。。





昼夜、嘆きの壁を見に行く。



8月19日、朝から下痢が止まらず、宿のベランダでのんびり日光浴をする。日差しが強い。同じ部屋のワタルさんに、正露丸をもらい、マコトさんとゾノさんに抗生物質をもらって飲み、とりあえず下痢はおさまったので、嘆きの壁を見に行く。
嘆きの壁では、紙製のキッパと呼ばれる帽子が配られており、それを被らなければならない。壁の前では、タキシードにシルクハットという正統派の人々が聖書を読んだり前後にゆれながらなにか祈っている。
壁に近づき、一応「おなかが治りますように」と祈っておく・・・
夕食は、同じ部屋の人たちでシェア飯。カズヤさんとワタルさんがスパゲッティを作ってくれた。ししとうの辛みが程良くソースに加えられていて、とてもおいしかった。
夜は、タクヤさんとショウ君と一緒に夜の嘆きの壁を見に行く。壁がライトアップされていて、神聖な雰囲気である。相変わらず正統派の人は祈り続けていた。

Saturday, September 12, 2009

死海浮遊!!

8月18日、朝からひどい下痢で食欲がないが、同じ部屋のタクヤさん、翔君とともに、死海へ行く。新市街の先にある、バスターミナルまで、路線バスで5.9NIS。



 バスターミナルには少し高いが、食べ物の店がたくさんある。無料で入ることができる、エンゲティの公共ビーチまで往復で58.7NIS。特にお腹は空いていなかったが、なにか食べなければと思い、ピザを購入。行きのバスの中でよくかんでゆっくり食べたが、途中で気持ち悪くなり、こらえながら到着をまつ。




 快晴の中、砂漠に囲まれた、死海へとつく。このままでは気持ち悪くて泳げそうもないので、陰で吐いた。。。




 死海はとても奇麗だった。体を入れ、力を抜いて横になると、体が自然と浮かび上がる!!これが死海か!と感動しながら浮かんでいたが、塩分濃度が濃いため、皮膚の弱いところなどがひりひりしてくる。上がってシャワーを浴びないで放っておくと、ジンマシンも出てきた。。。ともあれ、死海の浮遊体験ができて、本当によかった。帰りのバスは疲れで寝て隣のおばさんに寄りかかり、注意されたが・・・・。





 宿に戻ると、リュウ君はベッドで横になっていた。体調がよくないらしい。聞いてみると下痢で同じような症状である。ダマスカスで食べたキムチが原因だったのだろうか・・・。あと考えられるのはアンマンでのチキンの丸焼きくらいか。。。 




 早く寝たかったが、トイレから離れられず、あまり眠れなかった・・・・。

Friday, September 11, 2009

いざ聖地エルサレムへ

8月17日、この旅のメインでもあるイスラエルに入国する。宿の支配人のアリさんがタクシーで20JDだというので、タクシーを捕まえて値切る準備をするが、あっさり20JDでOKをもらう。4人なので一人5JD。




 
行先はキング・フセインブリッジ、イスラエル名はアレンビーブリッジで、パレスチナ自治区の人がヨルダンに行くために使う国境である。この国境でのヨルダンでの出国スタンプおよびイスラエルの入国スタンプがパスポートに押されていると、イスラエルという国家を承認していない国、シリア、レバノンなどエジプトとヨルダン以外の中東及びアフリカのイスラム国家に入れないばかりか、マレーシアにも入れなくなるという。今回の旅では別に押されても差し支えないが、パスポートの期限まであと8年あり、それらの国に行く可能性もあるということで、「NO STAMP PLEASE!」に挑戦する。ヨルダン側の国境ではスムーズに出国税を支払い、別紙にスタンプをもらった。そして、JETTバスに乗り、イスラエル側の国境まで行く。

荷物を預け、パスポートにシールを貼られる。このシールは粘着力が強くて、このシールの痕だけでイスラエル入国がばれてしまうという話を聞いていたので、あらかじめ用意しておいたパスポートカバーを付けてそこに貼ってもらった。日本人はVIPと書いてある一番左の窓口に並ぶようだ。しかしVIPとは言っても、他の国の人が何人も並んでおり、なかなか順番が回ってこなかった。やっと順番が回ってきて、係官の女性兵士に「NO STAMP PLEASE」と言った。特に理由も聞かれることなく、滞在目的や滞在場所を聞かれた。シリアやレバノンに行ってないたくやさんと、ワタルさんはすぐに通されたが、私とリュウ君は別紙にシリア、レバノンに滞在した理由を書かされ、待っているように言われた。周り人が記入した紙を盗みみると、国籍がサウジアラビアの人がいた。イスラエルの国は認めないのでNO STAMPだが、エルサレム巡礼は義務のなので行かなければならないということなのだろう。




 なかなか名前が呼ばれず、呼ばれるまでに1、2時間かかっただろうか。係官が笑いながら名前をいい、パスポートと、別紙に押されたスタンプを渡してくれた。




 


イスラエルは男女平等の徴兵制で、推測であるが、男はシリアやレバノンなどの厳しい国境の警備にあたり、女性はこのようなゆるい国境で入国審査などを担当しているのだろう。




 エルサレムに向かうミニバスに途中、女性兵士が乗り込んできたのを隠し撮りした。軍服を着ている女性は美人が多かった、というか、何割増しかに見える気がした。。。








 宿は、ジャーナリストが泊るというファイサルホテルが改装中らしく、マンスールで勧められたエルサレムの旧市街の城壁の中にある、Al-Arab hostelという宿に行った。この宿は泥棒宿と呼ばれているらしく従業員が客のものを盗むという話だった。しかし一泊30NISはかなりお得である。部屋は7人部屋だったが、全員日本人だった。