Wednesday, October 27, 2010

砂漠の街ヤズド!ゾロアスターの聖地へ

9月ヤズドのターミナルについたのは早朝の3時だった。外は寒く、こんな時間に町へ出てもしょうがないので、ターミナルの建物の中で寝ることにした。8時ごろ目を覚ますと、周りのイラン人達がじろじろと見ているので、街の中心へと向かう。ちょうど市バスが停まっており、旧市街の入り口のスクエアでおりる。少し迷ったが、おめあてのシルクロードホテルに到着。ホテルの中庭では宿泊客たちが朝食を食べていた。その中に日本人が3人くらいいて少し話した。ゾロアスター教の聖地や墓などをタクシーで回るツアーを宿で30ドルでやっているそうで、同じ日についたばかりの1人で医者の人と、一緒に参加することにした。ツアーは15時に出発するそうなので、街歩きをしながら、朝食兼昼食を食べることにした。

右の写真の建物の一階部分には鳥の内臓のケバブ屋がいくつか並んでいる。心臓(ハツ)とレバーとモモとヨーグルトを注文した。23000リアルだった。七味をかければ完全に焼き鳥の塩味である。
まずはゾロアスター教の鳥葬に使われたという沈黙の塔へと行く。



上に上ると見晴らしがよい。日差しが強く、空気が乾燥しているので、気付かずに汗をかくのでのどが渇く。

その次には、カラナックへと向かう。ここは土で作られた町の廃墟で、屋根の上を歩けるロンプラによると落ちた観光客がいるそうだ。こんなとこで骨折でもしたら大変である。



ガイドの運転手さんは英語が話せないようだったが、ペルシャ語でさえ話さず、ただ笑っているだけだったのが印象的だった。



これがカナートである。中学のとき地理で習う、砂漠気候でオアシスから水をひっぱるためのものだ。あの知識がこんな時にいかされようとは!地元のおばさんが、鳥の皮を洗っていた。

最後にゾロアスター教の聖地チャクチャクへと向かった。この名前の由来は水の滴る音で、教会のような建物の中にしずくが垂れる場所があるのだ。
 
 

建物の中はお香のにおいがした。設備は妙にきれいで、日本の新興宗教の施設みたいだった。あんまりきれいだと、ありがたみがないような気がしてくる。

建物を出ると例によって、イラン人の家族がピクニックをしていた。チャイとおつまみをごちそうになり、写真をとった。

 



宿に戻るとすでに夜である。宿に、マシュハドの宿で一緒だった、ふくもとさんと合流。3人で、ハマムを改造して作ったというレストランへに行き、イラン料理をたのみ、ノンアルコールビールで乾杯した。

Wednesday, October 20, 2010

ペルセポリス

朝、宿で朝食をとり、宿に荷物を預けて、9時に待ち合わせの場所へと行く。2人はもう待っていて、バスターミナルへ市バスで向かう(750リアル)。マルブダシュトという村までバスで行き(5000リアル)、ここでペルセポリス行のタクシーと交渉しなければならない。タクシーの運転手は例によってたむろっており、値下げには応じない。皆4万なら行くというが、そんななかで5万と言ってくるおやじまで現れる始末。そこに若者2人が車でとおりかかり、2万で連れて行ってくれるという。おやじたちは不平を言っているようであったが、若者に乗せてもらい。何とかペルセポリスにつく。お金を払うと、意外な様子で少し驚いていた。もしかしたら親切で乗せてくれた展開だったのかもしれない。ペルセポリスの入場料は、5000リアルだ(約40円)。破格である。イラン人の観光客がいっぱいいるのもうなずける。ピラミッドは結構高かった気がするので、カイロに住んでいてもピラミッドに行ったことがない人はたくさんいるだろう。

ペルセポリスの遺跡を近くで見ると落書きやら字が彫ってあった。年代は1800年代に彫られたものもあった。これだけ古いと落書きのくせに、少し価値があるみたいに思えてしまう。


イラン人は携帯で写真を撮ることが多いし、ムービーもとっている。遺跡をムービーでとっていつ観るんだろうと思うが、観光地でよくとっている。


イラン人たちは遺跡の前にロープが張ってあったり柵があるところでも、大人が平気で入って触っている。日本人なら相当いたずらっ子が入るくらいだろう。

帰りはシーラーズまでの直通のバスがあり、3人で25000リアルという、1人当たりの金額が割り切れない値段だったが、ラッキーだった。3人とも爆睡した。この2人にあっていなかったら、ツアーで行っていたかもしれないし、値段交渉も1人だと折れてしまうものだ。出会えて本当によかった。

夜行でヤズドに行くべく、ターミナルまで行き、ヤズド行のチケットを買った(65000リアル)。
バスは一番前の席だったが、冷房が直で当たり、遮断するパネルも壊れていたので、本当に寒かった。

最後におまけ。よくおもしろ画像みたいなので、イスラムの厳しい国らしいイラストとして見かけるが、イランではここぐらいしか見つけることができなかった。





Monday, October 18, 2010

シーラーズのバザール探索

シーラーズ行きの便は朝10時だった。タクシーでマシュハド空港まで行き、チェックインし、待合のいすで座っていると、イラン人の家族がピスタチオをくれた。しかも袋とかではなくジャラジャラとそのままくれるのである。ありがたいが、やや処分に困るというものである。


イラン航空の国内線に2時間ほど乗り、シーラーズへと到着した。ここでは町の中心まで歩いてはいけない。バスもないようだ。あまり乗りたくないがタクシーに乗るしかないようだ。タクシー運転手は溜まって、客を待ち構えている。最初5で街までと言われた。5万リアルという意味だ。高いだろと思い3といったが、4までしか下がらなかった。しぶしぶタクシーに乗った。タクシーに乗りながらやっぱり高いなと思い、なんとか安く抑える方法はないか考えた。これは踏み倒すしかない。

というわけで、町の中心についたところで、降り、後ろのトランクからバックパックを出してもらい、2万を渡した。当然のように運転手はもう2万を要求してきた。拒否して口論になっていると、たくさんの人が集まってきた。中には通訳してくれる人もいて、日本人ならお金あるだろ、払えよという青年もいたが、断固拒否して相手が折れるのをまった。たかだか2ドル程度のことだが、達成感があった。去年エジプトで身に着けた術「踏み倒し」を実践できたという達成感だ。ただでさえふっかけてぼったくられる中東文化圏において、重要だ。これがほかの国だったら、お金払うまで後ろのトランクを開けてくれなかったりすることを思えば、イラン人はいい人だなとおもった。

シーラーズではロンプラに書いてある宿を探したが、なかったのでその近くにある少し高いNiayesh Boutique Hotelに泊まった。ドミトリー朝食付きで、14万リアルである。ドミでカナダ人のアレックスと知り合い、次アルメニアに行くと言ったら、おすすめの場所などを教えてくれた。彼は異様にテンションが高く、会話中に「great!」,「perfect!」を連発していた。ちなみに彼とはエスファハンにいってから町の中で2度も会うこととなる。

 トレッキングに行くというアレックスとわかれ、バザールでも行こうかと思っていると、日本人の夫婦に声をかけられた。2人は明日ペルセポリスに行くそうで、相乗りのタクシー仲間を探しているという。宿の手配するツアーで行こうかどうしようと思っていたのでさっそくラッキーだ。うまくいけばかなりお金を節約できる。翌日の8時に待ち合わせをした。

 シーラーズの見どころでもある、城壁に行った。周りに芝生の広場があり、多くの家族がピクニックをしている。シートを敷き、チャイを飲んだりご飯を食べたりしているのだ。歩いているとさっそくある家族に呼ばれ、その中の少し英語のしゃべれる青年を通じて、お話をすることになった。



そのあとバザールに向かって歩いていると日本人らしいおじさんにあった。「指さし会話帳」を持っていたので、いいですねと言ったら、もうイラン出るからあげるよと言われた。「やっぱり旅はこういうのがないとね」と言っていた。まさにその通り。特にイランではピクニックに誘われることが多いから、指さし会話帳は英語が通じない中で役に立つだろう。


バザールは広くて、いままで中東の国でみたのと同じような店が続いている空間だった。じゅうたんを売っている店のおじさんに声をかけられ、店に入った。チャイをもらい、雑談をした。店ではアフガニスタン出身の子供が働いていた。戦争以後、イランにはたくさんの移民がいるという。



そのあとまた戻るよと主人にいって、ぶらぶらしていると、日本語をしゃべれるというおじさんに話しかけられた。トルコみたいにいかがわしいやつかもしれないと警戒しながら話していると、彼は11年前に日本にいたという。今はテヘランに家族とともに暮らしていて、シーラーズに観光に来ているという。一緒に歩こうというので、話しながらバザールを歩くことになった。11年も前なので、かなり日本語を忘れてきているといって、アーとかウーとか頑張って思い出しながら話そうとしていた。
結局はイラン人女性はきれいだという話に落ち着いた。バザールいる女の子かわいい。目がすごいという結論に至った。
少し疲れたのでチャイハネ行きたいというと、現地の人に聞いてくれて、一緒にチャイハネに入った。コーヒーを飲みながら話をし、おなかすいたと言ったら、ケバブを注文してくれて、結局最後には全部支払ってくれた。
多少イラン人にごちそうしてもらえるという下心があったのも事実だが、すごいうれしかった。ちょうど滞日ムスリムの日本での生活について調べたりしていたこともあり、実際に日本に働きに来ていたイラン人に会うことができたのもうれしかった。

Wednesday, October 13, 2010

マシュハド

9月13日、列車のコンパートメントは6人乗りだったが、イラン人の男の若者と、家族と思われる、おじいちゃんおばあちゃん、おばさんとその娘。さらにおじいちゃんおばあちゃんの孫とみられる2,3歳の男の子と同じだった。男の子は落ち着きのない子で、床に座ったり、ほかのコンパートメントにいるお母さんのところに走って行ったり、戻ってきたりで騒がしかった。電車の中は寒く、あまり深く眠れなかった。朝食も出ない電車だったが、おばさんがお菓子やピスタチオをくれてありがたかった。

電車は11時にマシュハド駅へと到着した。


マシュハドではVali's non-smoking homestayという宿に泊まった。ここは絨毯屋でもあるバリさんのおうちで、ふつうに家の中に絨毯が敷いてあり、ベッドがいくつかあるという宿だ。夕食朝食付きで14万Rlsだった。宿にはちょうど日本人が1人泊まっていた。


マシュハドは聖廟のモスクぐらいしか見どころがない(と思われる)ので、次の都市へのフライトのチケットを買いに行った。イランの国内線は安いと聞いていたので、時間短縮の意味も込めて乗ってみることにした。イランではとりあえず、最低エスファハン、シーラーズ、ヤズドに行ければいいと思っていたので、いちばん南にある、シーラーズに行くことにした。

イラン航空のオフィスは2時に閉まってしまうということで、結構ぎりぎりだったが、間に合った。
この時期はラマダン明けの休日で、予約がいっぱいと言われたが、目の前でキャンセルがあり、翌日のシーラーズ行きのチケットを買うことができた。634000Rls。イランの国内線は安い。

 そのあとマシュハドの見どころであるハラムに行った。入ろうとしたが、間違えて出口のほうから入ろうとしたところ、英語もろくに話せない警備員に呼び止められ、待っているようにいわれた。
よくわからず、いったん帰ろうかと立ち上がると待っていろと言う。しょうがないのでしゃがんで待つこと40分くらいだろうか。大柄の英語を話せる男が現れ、ガイドしてくれるという。どうやらここのスタッフらしい。中の博物館もガイドしてくれて、最後には礼拝所と同じつくりの部屋でチャイをくれたり、ポストカードまでくれた。ハラムの中にはエルサレムの岩のドームの隣にある小さいドームと同じものがある。イスラエルに行ったことがあるといったら。彼は行ってみたいといっていた。彼の話によるとアメリカ人の観光客も大勢いるという。政府と人々とは違うと言っていた。

19時から夕食だった。バリさんの奥さんが作った家庭料理だ。同室の日本人が買ってくれたレモン風味のノンアルコールビールとともに食した。


夕食後は夜のハラムを見に行った。聖廟の周りは大勢の人がいて、みなが聖廟に触ろうと必死だった。朝の満員電車以上の圧力と体臭でしにそうになった。実際怪我する人がいてもおかしくないだろう。赤ん坊を抱えているおじさんもいたが、危険である。


ちなみにカメラは持ち込み禁止なのだが、中ではイラン人たちが携帯のカメラでパシャパシャとっている。彼らはムービーも好きでよくとっている。というわけで、デジカメを後ろポケットに隠して、ボディーチェックをかわし、撮影に成功した。

Sunday, October 10, 2010

アブダビからテヘランへ

 2010年9・11。シンボリックな日であるが、3週間の旅行に出発した。アブダビを本拠地とするエティハド航空をつかい、アブダビ経由でイランのテヘランに行く。

 22時に成田発ということで、空港内のお店も閉まり始めるという状態だった。成田のTSUTAYAを少しぶらぶらしていて気がついたが、エロ本コーナーのでかいこと!3大ポルノ大国の1つの国の空港だけある。ちなみに残りはアメリカとドイツらしい。買おうかとも思ったが、イランで引っかかったら大変なことになるので買わず。
 
 飛行機では、隣はアルゼンチン人の18歳マーティン。日本語学校で学んでいるという。4月に初めて日本に来て勉強したというのに、結構しゃべれている。彼はフランス旅行だそうだ。
 夜発の飛行機であればよく眠れるかと思ったが、酒を飲んでも意外と眠れず。。。
アブダビ空港に着いたのは現地時間の早朝4時であった。トランジットでテヘラン行に乗るのが15時だったので、一度入国した。外に出ると、まだ太陽は出ていないが、むっとする暑さだった。アブダビの市外へはバスが出ているらしい。バスは3DH(1DH=約25円)。のっているのは出稼ぎに来ていると思われるインド人やパキスタン人であった。 バスの途中でおり、海の近くの公園のようなところだった。変なところで降りたなと思いつつ。歩いたが、太陽がでてくるにつれ暑くなってきたので、タクシーに乗り、とりあえずアブダビモールへと連れて行ってもらった。
 しかし、10時になるまでアブダビモールは開かない。仕方がないので、タクシーを拾い、見どころであるシェイクザイードモスクへといった。

オイルマネーをつぎ込んで作りましたとでも言うかのように巨大で豪華なモスクだった。金曜の礼拝時にはどれくらいの人が集まるのだろうか。見応えのあるものであった。ただ、ここまで来るのに、非正規タクシーを使ってしまい、100DHも払ってしまった。。。ついたばかりの時のタクシーには毎度やられている気がするが、高額紙幣しか持っていないことが多いし、難しい。
 
タクシーに何度か乗ってわかったが、UAEではタクシー運転手はインドやパキスタンからの出稼ぎで、正規のタクシーはすべてGPSで管理されており、スピード違反や回り道などをすると罰金が科せられるようになっているという。旅行者にとってはありがたい仕組みだが、金持ちアラブ人が出稼ぎ労働者を管理して搾取しているともいえ、少し恐ろしくもある。



アブダビでは昼食後、ショッピングモールで時間をつぶし、アブダビ空港からテヘランへと飛んだ。
テヘラン行の飛行機では、隣はオーストラリア旅行から帰るというイラン人夫妻で奥さんはスカーフをしていなかった。ラマダン逃れの旅行なのだろうか、と思いながらもロンプラを見て、テヘランに着いたらどうするかなどと考えていると、おじさんが話しかけてくれて、マシュハドに行くなら電車のほうがいいなどとアドバイスをしてくれた。機内食が出たが本格的なケバブで、日本アブダビ間のものよりも美味しかった。

 空港が近付くと夫人はスカーフを巻いていた。入国後、隣に座っていたおじさんがテヘランの駅までのタクシーを手配してくれた。お金は20000Rlで(10000Rls=1$)、後から請求されてもこれ以上払っちゃだめだよと言われた。このときはよくわからなかったが、空港から駅までの距離を考えると、あまりにも安い値段であった。これが現地人プライスなのか、おじさんが残りを払ってくれたのかわからないが、おじさんには大変感謝である。
 テヘランは空気が汚いなと感じた。排気ガスのにおいがすごいのだ。こんなとこなら初日に泊まらなくて正解だと思った。

 駅では切符売り場が大変ごった返していた。列にもなっていないし、帰るのかなと思っているとスタッフが声をかけてくれて、マシュハドと言ったら、50000RLSだった。2等車とはいえ、12時間近くのってこの値段は安い。

 電車はドイツのDBのお古だった。ただしトイレの便器はイラン式(というか中東式)に付け替えられていた。