Friday, December 31, 2010

いざ、アルメニアへ

9月26日、七時に起床した。宿のおじさんに、日本人が来たら指さし会話帳を渡すように頼んだ。アルメニアとの国境のノルドゥズに行くためには、ジョルファーという街を経由しなくてはならない。極力安くいきたいものである。マーランドバスターミナルまでが20000リアル、そこからジョルファーまでバスが出ており、それが12000リアルだった。そして、そこからノルドゥズまで、相乗りタクシーで40000リアル払い、イラン側の国境へとたどり着いた。周りは何もないところで、車を降りると闇両替がいた。
 

看板をくぐり、少し歩くとイランのパスポートコントロールの建物がある。出国のスタンプを押してもらい、アルメニア側の建物へと歩く。



この国境の間の道は、どちらの国の領土でもないと思うと不思議な感じがする。しかし山や木や川はそんなの関係なくそこに存在している。むしろ国境というものが人為的に作られたものであるということを感じさせる空間だ。アルメニア側の国境を守っているのはロシア軍だ。


アルメニアのあいさつは日本人にとって印象的で、大変覚えやすい。
こんにちはにあたるのが「バレー部です」だ。

というわけで、アルメニアのパスポートコントロールの建物に入るなり

「バレー部です!!」といったら、それだけで係員は笑顔になった。

ビザの手続きを待つ間、兵士に一緒に写真を撮ろうといわれた。自分のカメラでもとっていいかといったが、それはだめだというわれた。職権乱用だ。まあこんな辺鄙なところに勤務ともなれば、日本人は珍しいのだろう。

ビザは3000ドラム(約十ドル)だった。入国手続きが済み外にでると、運転手がたむろっていた。値段を聞くとやたらと高い。なぜこういう仕組みなんだろう。こいつらは国境で待ち伏せてたまに来る観光客相手に金をとるのだ。もっと薄利多売で働く仕組みにしてほしいものだ。いろいろとごねたりもしたがここにマルシュルートカ(乗合ワゴン)がたまにしか来ないのが悪いのだ。仕方ないのでイラン人2人と相乗りでゴリスまで行くことになった。10000ドラムだという。イラン人はエレバンまで30000ドラムを払ったという。運転手はヒョードルみたいな顔をした男だった。
 

 



ドライブの途中の景色は美しい自然だった。木々はところどころ黄色くなっていた。ただ運転手の男水を飲んだ後のペットボトルを山に向かって放り投げるのを見て、価値観の違いというものを感じてしまった。3時間くらい乗っただろうか。ゴリスの街だと言っておろされた。ほんとにゴリスかどうかよくわからないがとんでもないとこに来ちゃったなという感じがした。天気も霧がかっていてなおさらだ。

宿は旅行人に載っているLyova & sons B&Bという民家の一部を宿にしたところに泊まった。7000ドラムで朝食つきだ。高いが、こんな辺鄙なところなのでしょうがない。

夕飯でも食おうかと外にでてロンプラに載っているレストランへといった。入ると、アルメニア人の青年3人組に呼ばれ、ビールをごちそうになった。少し話をし、念願の豚肉を注文した。2週間ぶりのビールはうまかった。豚肉も最高にうまい。
 

これだけ食べても2100ドラムだ。宿に戻るとロシア人の集団が食事をして盛り上がっていた。モスクワから来たそうで、アルメニアのいろんなところを訪れているそうだ。この中学生の少年は家族でいままでいろんな国に行ったらしい。うらやましい限りだ。
ミネラルウォーターのペットボトルに入っていたのはアルコール度数60度の自家製ウォッカでおじさんたちとショットグラスで乾杯一気を2,3回した。これがロシアの飲み方なのか。

 

Wednesday, December 29, 2010

最後まで気の抜けないタブリーズ

  翌日はアルメニアに抜けるつもりなので、イランで観光として過ごすのも最後の日となった。思えば、シーラーズで日本人と会ったあたりから旅としては上向きで、エスファハンでイラン人との出会いもあり、なんてイランはいいところなんだろうと思っていた。しかし、何が起こるかわからないものである。この日は特筆すべきエピソードが2つあった。

 1つ目は、朝食のために宿の近くのケバブ屋に行ったことだ。その時、財布には2万リアルしかなかったが、まあ足りるだろうということとで、店に入った。店のおじさんは「OK?OK?」と笑顔で言うので任せるままに出たものを食べたのである。

そして、食べ終わり、いくら?と聞くと、彼は「5万リアルだ」といった。

 一瞬冗談かとおもった。ここはイランだ。朝食でそんなにお金がかかるわけがないと。彼曰く、、高い内臓のケバブをだから高いらしい。日本人だからお金を持っているとでも思ったのだろうか。確かにうまかったが、そんな話聞いてない。お金もない。そんなわけで、口げんかで応戦し、言い合いの末、2万リアルを叩きつけて店をでた。今から考えると大人げない気もしたが、いくらなんでも高いだろという気がしたのだ。不当なぼったくりに妥協することは、他のバックパッカーにも迷惑をかけることになるのだ。 まあそもそも最初に確認しなかったのはこちらの落ち度だ。

 2つ目は夜夕食後に起きた。バザールから帰る途中少し道に迷ったのだ。しかもその時雨が降ってきたのだ。すると、ある男に声をかけられた。彼は何やら英語が話せ、しかも無宗教であるという。なんだこいつと思いながら、宿の近くの広場まで連れて行ってもらおうと思い、彼の後について行った。彼は一緒にタクシーに乗ろうといった。そんな距離じゃ無いだろうと思いつつ、道がわからなかったので、彼と一緒にタクシーに乗った。するとどこか変な方向へ向かっていった。彼にこれどこに向かってるの?と聞くと、リッチホテルだという。はい?と思っていると、男はこのように言い出した。 

「実は大きな問題がある。僕お金持ってないんだ」


はあ!!? 道が少し渋滞でタクシーが泊まっていたので、どこだか分らなかったが、ドアを開けて飛び降りて逃げた。なんということだろう。ただのお金のないおっさんだったのだ。どんなつもりだったかよくわからないが、危ないところだった。 しかしますますわからないところへ来てしまった。少しちょうど洋服屋の店主が店の前にたっていた。おじさんに宿の公園の場所を伝えると、おじさんは店に鍵をかけてくれて、タクシーつかまえて行先を告げてくれた。2万リアルかかったが、無事に帰ることができてほっとした。よりによってイラン最後の夜にこんなことがおこるとは。


夕食は少し奮発して、モダンレストランというところで、ノンアルコールビール2本とともに、タブリーズ・コフテという煮込みハンバーグのようなものを食べた。これだけ食べて、8万リアルだ。やっぱり朝食の5万はおかしい。

 

ちなみにこの町の生絞りメロンジュースは一杯1万リアルだ。うまいので何度も飲んでしまった。



Tuesday, December 28, 2010

金曜日のカンドヴァン

 ラシュトでのモナたちとの感動的な別れのあと、バスでは30くらいの男に声をかけられた。なんでもビジネスで日本に行くらしく、日本のビザの申請用紙をもっていた。なにやら僕に聞きたいことがあったみたいだが、恐ろしくねむく、話すのがめんどうだった。彼は途中の休憩所でチャイをくれた。バスがタブリーズに着いたのは相変わらず早朝だった。そして湿気のあるラシュトとは違い、乾燥してかなり寒い。
 タブリーズという地名は記憶に強く焼き付いている。なぜなら、高校の世界史で出てきたときに、ファブリーズみたいな地名という覚え方をしていたからである。そんなわけでどんな街かは知らなかったが着いたときは、ここかぁという感じがした。ターミナルで先の男が朝食をおごってくれた。


 別れ際に電話番号を渡され、宿着いたら電話してくれ、といわれた。行く先々でこんな展開でいいのかと思ったが、結局電話しなかった。
 宿はダリヤゲストハウスというシャワー付きで一泊11万リアルの宿に泊まった。シングルルームである。ラシュトの最悪の宿と違って、きれいだった。カスピ海ぶりにシャワーを浴びることが出きてすっきりした。フロントで情報ノートを借りてみていると、カンドヴァンというカッパドキアのようなところに人が住んでる村があるらしく、さらに金曜は直通バスがでているとのことだった。金曜はバザールも空いていないので、タブリーズに2泊することにして、カンドヴァンに行くことにした。
 

 

カッパドキアみたいな岩にほんとに住んでるよという感じのところだ。住んでいるのはアゼル人らしい。上にのぼって村を眺めていると、18歳の青年とその弟がビデオをとっていた。彼はたどたどしい英語だったが(自分もだが)、あっちに家族がいるから来てよというのでついて行った。
   

彼らは毎度おなじみ家族でピクニックをしていた。女の子も何人かいたのだが、一緒に写真を撮ることができなくて残念だった。日本語で名前を書いてと皆にせがまれ、渡された紙に漢字とひらがなで名前を書いてあげた。有名人になった気分であった。



 

 さらに昼食をごちそうになった。カレーと思いきや辛くなかったが、まあ何とか食べることができた。
 2時過ぎになりそろそろ戻ろうかと思っていると、とまっているバスが出られないほど乗用車がずらずらととめてあった。これでは帰れない。とりあえず車がなくなる端っこまで歩こうと思い歩いた。が、ここからはバスが出ているわけではない。仕方がないので、ヒッチハイクをすべく、少し歩き、帰る車に手を振り続けた。20分ほど待っただろうか、カップルが乗った車が止まってくれて、途中のオスクーという街まで乗せてくれた。感謝感謝。
 タブリーズの街を歩いて感じたのは、他の街よりも、チンチョンチャン口撃が多いなぁということであった。


Saturday, December 18, 2010

田舎町マスレーへ

 9月23日、7時に起床した。というか部屋が蒸し暑く、さらにくさいのでほとんど眠ることができなかった。パッキングを済ませ、宿のおっちゃんに預かってもらうようにたのみ、モナとの待ち合わせの場所へと向かった。モナと一緒にタクシーに乗り、フーマンという街に向かった。乗っている間完全に眠っていて、起こしてもらった時にはついていた。そこで、マスレー行きのミニバスにのるように言われ、モナと別れた。帰ったらまた電話するようにとかなんとか言っていたが、ボーっとしていたので理解していなかった。




 

マスレーはどこか日本の田舎のような緑のある、のどかな村だ。山の傾斜にそって家があり、屋根の上を歩いたりできる。実際に暮らしている人たちもいるが、当然、イラン人の観光客も多い。


 

滝もあり、いい感じのところだ。イランにもこのようなところがあるとは!

 

 









適当に時間をつぶし、相乗りタクシーでフーマンまで行き(1万リアル)、ミニバスでラシュトに戻った(5000リアル)。

 戻ったものの、モナに何時に電話してよいのかよくわからなかったので、公園をぶらぶらしてロンプラを読んでいた。すると、やたらとテンションの高いちょい悪な兄ちゃんたちに、からまれた。若干面倒くさかった。
 ネットカフェに行き、街をぶらぶら歩いていると、商店のおじさんに日本語で話しかけられた。そして、2階に行くように言われた。2階には、プレステ3が並んでおり、若者たちがサッカーのゲームをしていた。壁には写真がいくつも貼ってあり、日本人の写真がいっぱい貼ってあった。
 そこにいた、20歳の青年に、モナに電話するように頼んだ。彼はすぐに電話をしてくれた。モナは迎えに来てくれるそうだ。それまで街を案内するよとのことで、一緒にバザールへと向かった。
 

 

 右上の写真は内臓のケバブだ。彼らはダーティーケバブと呼んでいたが、焼き鳥みたいなもんでうまい。
 左下は彼らの仲間で、乞食のフェイクをしていた。不謹慎だが、はまっていた。もちろん彼は両腕ある。
 
 モナと再開すると、何でもっと早く電話してくれなかったのと言われた。一緒にタブリーズ行のバスチケットを買いに行った。出発は7時半だった。この時すでに5時くらいだったと思うが、モナが「時間ないかもしれないけど、ラーヒージャンに行きたい?」というので、行くことにした。しかしタクシーに乗ったものの、道が渋滞していてラーヒージャンに着いた時には、もう引き返さないといけない時間だった。モナは「とてもきれいなとこだから見せたかったわ」と言っていた。もっと早く電話すればよかった。
 帰りのタクシーの運転手はかなり運転の荒い人で、ハイビームでカチカチして、前の車を横にどかして、猛スピードでラシュトへと向かった。ラシュトの宿の近くに着いたところでタクシーを降りて宿に荷物を取りに行った。
 モナの彼氏が車でターミナルまで連れて行ってくれるそうだ。しかし、時間は7時半ぎりぎりだったが、彼は心配するなといった。モナの彼氏は、運転しながらバス会社に電話をしてくれて、バスが通るスポットに僕を連れていくのでそこで拾ってくれるように頼んでくれたのであった。そのスポットに着きバスが来るのをまった。彼は「もしだめでも俺がタブリーズまで連れて行くよ」といった。なんていい男なのだろう。
 無事にバスがきて、2人と感動の別れをし、タブリーズへと向かった。

宿は最悪だったが、ラシュトに来て本当に良かった。

Friday, December 17, 2010

夕暮れのカスピ海で泳ぐ

 テヘランでの最高の夜から一夜明け、ラシュトに向かう。バスターミナルに行くために地下鉄に乗り、駅でおりた。駅を出ると、いかついバイクにまたがったおっさんが、日本人だろ後ろに乗れよという。あとでお金せびられるんだろうなと思いつつ、後ろに乗った。バイクのスピードは速く、落ちないようにと、おじさんのおなかに必死でしがみついた。ぷにっとして汗ばんだ感触が印象的だった。ターミナルに着き、お金をせびられる前に行こうとした。当然、「ミステル!」と呼ぶ声がしたが、ちょうど、チケット売りのおじさんが来たので、聞こえないふりをしておじさんについて行った。まあタクシーではないし、バイクで乗せてあげてお金をもらおうなど虫が良すぎる。というわけでどこか気持ちがよかった。ラシュト行きのバスは6万リアルだった。

 途中、サービスエリアのようなところで休憩だった。何時に出発するかよくわからないので、飯を食べずに我慢しようかと思っていたが、店員の勧めでケバブを注文してしまった。10万リアルもした。食べていると、出発するので早くしろと運転手に言われた。ごはんを残してしまった。こんなことならやっぱり食べなきゃよかった。。。

 さらに途中でバスを乗り換えさせられ、ラシュトのターミナルへとついた。ラシュトは湿気がある街だった。街の中心まで歩いて行こうとしたが、タクシーのおっさんが遠いなどとうるさいのでタクシーに乗った。途中で下され、安宿のようなところに案内された。聞くと一泊20万リアルであるという。「ありえない!」といってすぐ建物をでて、タクシーを踏み倒そうとした。するとタクシーのおじさんが追いかけてきて金を払えと言ってきた。二万リアルだといってくる。二万も払えるかと思い、1000だけ渡そうとすると、「なんだこんなゴミ」というかの如く地面に捨てられた。面倒なので、近くの商店で2万を1万二枚に両替し、1万だけ渡して、先を急いだ。
 ロンプラに書いてある安宿に行った。部屋はシングルしかないらしく、入ると窓もなく、汗臭い部屋だった。共同のシャワーもない。これで7万リアルらしい。この町にはドミトリーのゲストハウスがないらしい。今まで泊まった中で最悪の宿だった。
 カミーに紹介してもらったサラに電話したかったが、公衆電話の掛け方もよくわからなかったので、ぶらぶらと歩いてネットカフェを探していた。あるいていると、メガネをかけた女性に声をかけられた。英語の上手な女性だった。ネットカフェを探しているというと一緒に探してくれるという。実は友達に電話をしたいんだと言って、サラの番号を見せると携帯で電話をしてくれた。そして落ち合う手配もしてくれた。
 待ち合わせの場所に来たのはモナさんという女性だった。田舎開発研究の博士で、大学でクラスを持っていて、サラの友達である。そしてサラとも合流し、バンダレアンザリーへと向かった。お金は全部2人が出してくれた。サラはこの町に住んでいるそうだ。



泳ぎたいというと、驚かれたが、せっかく水着を持ってきたので、荷物を二人に見てもらってカスピ海へと入った。水は思ったよりも暖かった。

夜は、海沿いを歩いて、港の夜景を見た。デートスポットらしい。

というわけでサラとデート(笑)



港の船はアゼルバイジャンに行くらしい。ただし旅客ではないとのこと。


 サラは大学で観光の勉強をしている。「あなたが一番初めの観光客ね」と言われた。
 モナと一緒にラシュトへと戻った。モナの彼氏(と思しき大柄の男性)が車で迎えに来てくれて、
ファラフェル屋に連れて行ってくれて、ファラフェル2個をごちそうしてくれた。翌日の予定が特にないというと、モナがマスレーに行くべきだといい、朝、会議の前に、途中まで連れて行ってくれるという。8時に会う約束をして宿へと戻った。


 
 

Friday, December 3, 2010

充実のテヘラン

 9月21日テヘランに着いたのはまだ空も暗い早朝だった。ヤズドの時のように横になれるところを探したが、待合室のようなところが見つからない。仕方なく礼拝所に入り端のほうで横たわっていた。少し眠っていると、足でけられて起こされた。礼拝が始まるのか、邪険にされた。すいませんとしか言いようがないが、ペルシャ語が分からないので出ることになった。そろそろ市バスが動き出す頃なので、1泊70000リアルのマシュハドホテルのある、ホメイニスクエア行きのバスにのった。

 マシュハドホテルのある場所は自動車用品街にある。中にいてもタイヤのゴムのにおいやエンジンオイルのにおいがする、大変体に悪そうな立地だ。部屋ではエスファハンであった大学生とまた遭遇した。フロントのおっさんにカミーに教えてもらった電話番号を見せ、電話してもらった。かわって受話器を取ると、カミーのとてもうれしそうな声が聞こえた。15時に宿まで迎えに来てくれるそうだ。

 そんなわけで、ちょっと見物でもしようと思い、旧アメリカ大使館跡にいった。


しかし中を見学することはできず、残念。しかたないので近くにあるショハダ博物館にいった。ここはイラン革命やイランイラク戦争で亡くなった人の遺物等が展示されている。入ると、社会科見学らしき小学生たちがぞろぞろいた。いなくなったのを見計らって展示を見ようとしていると、ここの女性スタッフが「一人で見ていても退屈でしょう」といって、ガイドをしてくれた。彼女は鼻にテーピングを巻いていたが、かなりの美人だった。

 宿に戻り三時まで昼寝をし、外に出ると、カミーがいた。今日は予定がみっちりだぞといって、まずは、ゴレステン宮殿へといった。ここはイラン近代化の象徴のような建物である。中はなかなか豪華な展示があった。中には日本からシャーへ送られたというものもあった。

その後、大バザールに行った後、カミーの家に連れて行ってもらった。カミーはテヘランの高そうな地域のマンションの管理人だった。

カミーの家には奥さんとメーラサさんがいた。2人ともスカーフを取っておりきれいだ。カミーの家はいかにも西洋風の洒落た空間だった。部屋にはインドやチュニジアでとられた夫婦の写真があった。イランの中でもそれなりの富裕層だろう。
 

部屋でお茶を飲みながら雑談をした後は、カミーの車で山へとむかった。山にはホテルがあったが、ここはかなり高いそうだ。山からはテヘランの夜景が見渡せる。そこにあるチャイハネ式のレストランに入ることになった。

ケバブをごちそうになった。カミーは店員にメニューの値段がトマンかリアルか確認していた。深夜特急で沢木耕太郎もそんなやり取りをしていたのを思い出した。おそらく高かったであろうが、とくに特殊な味付けがしてあるわけでもない。肉料理は好きだし、ごちそうしてもらってこんなこと言うのも失礼だが、値段の割に・・・という感じである。





写真はチャイに砂糖でできたアメのようなスティックを溶かしている。
カミーが次は何処に行くんだというので、カスピ海に近い、ラシュトに行くつもりだといったら、ラシュトに親戚がいるといってその場で電話してくれた。そして、明日ラシュトに着いたらこの番号に電話するようにと言って紙に番号を書いてくれた。サラという同い年の姪っ子らしい。
素晴らしいおもてなしだった。イランに来ただけでここまで歓迎してくれるなんて!

帰りは車で宿まで乗せてくれた。車の中ではノリノリのペルシャポップが流れていた。
あとでわかるがSasy Mankanという人の曲だった。