Friday, December 3, 2010

充実のテヘラン

 9月21日テヘランに着いたのはまだ空も暗い早朝だった。ヤズドの時のように横になれるところを探したが、待合室のようなところが見つからない。仕方なく礼拝所に入り端のほうで横たわっていた。少し眠っていると、足でけられて起こされた。礼拝が始まるのか、邪険にされた。すいませんとしか言いようがないが、ペルシャ語が分からないので出ることになった。そろそろ市バスが動き出す頃なので、1泊70000リアルのマシュハドホテルのある、ホメイニスクエア行きのバスにのった。

 マシュハドホテルのある場所は自動車用品街にある。中にいてもタイヤのゴムのにおいやエンジンオイルのにおいがする、大変体に悪そうな立地だ。部屋ではエスファハンであった大学生とまた遭遇した。フロントのおっさんにカミーに教えてもらった電話番号を見せ、電話してもらった。かわって受話器を取ると、カミーのとてもうれしそうな声が聞こえた。15時に宿まで迎えに来てくれるそうだ。

 そんなわけで、ちょっと見物でもしようと思い、旧アメリカ大使館跡にいった。


しかし中を見学することはできず、残念。しかたないので近くにあるショハダ博物館にいった。ここはイラン革命やイランイラク戦争で亡くなった人の遺物等が展示されている。入ると、社会科見学らしき小学生たちがぞろぞろいた。いなくなったのを見計らって展示を見ようとしていると、ここの女性スタッフが「一人で見ていても退屈でしょう」といって、ガイドをしてくれた。彼女は鼻にテーピングを巻いていたが、かなりの美人だった。

 宿に戻り三時まで昼寝をし、外に出ると、カミーがいた。今日は予定がみっちりだぞといって、まずは、ゴレステン宮殿へといった。ここはイラン近代化の象徴のような建物である。中はなかなか豪華な展示があった。中には日本からシャーへ送られたというものもあった。

その後、大バザールに行った後、カミーの家に連れて行ってもらった。カミーはテヘランの高そうな地域のマンションの管理人だった。

カミーの家には奥さんとメーラサさんがいた。2人ともスカーフを取っておりきれいだ。カミーの家はいかにも西洋風の洒落た空間だった。部屋にはインドやチュニジアでとられた夫婦の写真があった。イランの中でもそれなりの富裕層だろう。
 

部屋でお茶を飲みながら雑談をした後は、カミーの車で山へとむかった。山にはホテルがあったが、ここはかなり高いそうだ。山からはテヘランの夜景が見渡せる。そこにあるチャイハネ式のレストランに入ることになった。

ケバブをごちそうになった。カミーは店員にメニューの値段がトマンかリアルか確認していた。深夜特急で沢木耕太郎もそんなやり取りをしていたのを思い出した。おそらく高かったであろうが、とくに特殊な味付けがしてあるわけでもない。肉料理は好きだし、ごちそうしてもらってこんなこと言うのも失礼だが、値段の割に・・・という感じである。





写真はチャイに砂糖でできたアメのようなスティックを溶かしている。
カミーが次は何処に行くんだというので、カスピ海に近い、ラシュトに行くつもりだといったら、ラシュトに親戚がいるといってその場で電話してくれた。そして、明日ラシュトに着いたらこの番号に電話するようにと言って紙に番号を書いてくれた。サラという同い年の姪っ子らしい。
素晴らしいおもてなしだった。イランに来ただけでここまで歓迎してくれるなんて!

帰りは車で宿まで乗せてくれた。車の中ではノリノリのペルシャポップが流れていた。
あとでわかるがSasy Mankanという人の曲だった。



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