Tuesday, December 28, 2010

金曜日のカンドヴァン

 ラシュトでのモナたちとの感動的な別れのあと、バスでは30くらいの男に声をかけられた。なんでもビジネスで日本に行くらしく、日本のビザの申請用紙をもっていた。なにやら僕に聞きたいことがあったみたいだが、恐ろしくねむく、話すのがめんどうだった。彼は途中の休憩所でチャイをくれた。バスがタブリーズに着いたのは相変わらず早朝だった。そして湿気のあるラシュトとは違い、乾燥してかなり寒い。
 タブリーズという地名は記憶に強く焼き付いている。なぜなら、高校の世界史で出てきたときに、ファブリーズみたいな地名という覚え方をしていたからである。そんなわけでどんな街かは知らなかったが着いたときは、ここかぁという感じがした。ターミナルで先の男が朝食をおごってくれた。


 別れ際に電話番号を渡され、宿着いたら電話してくれ、といわれた。行く先々でこんな展開でいいのかと思ったが、結局電話しなかった。
 宿はダリヤゲストハウスというシャワー付きで一泊11万リアルの宿に泊まった。シングルルームである。ラシュトの最悪の宿と違って、きれいだった。カスピ海ぶりにシャワーを浴びることが出きてすっきりした。フロントで情報ノートを借りてみていると、カンドヴァンというカッパドキアのようなところに人が住んでる村があるらしく、さらに金曜は直通バスがでているとのことだった。金曜はバザールも空いていないので、タブリーズに2泊することにして、カンドヴァンに行くことにした。
 

 

カッパドキアみたいな岩にほんとに住んでるよという感じのところだ。住んでいるのはアゼル人らしい。上にのぼって村を眺めていると、18歳の青年とその弟がビデオをとっていた。彼はたどたどしい英語だったが(自分もだが)、あっちに家族がいるから来てよというのでついて行った。
   

彼らは毎度おなじみ家族でピクニックをしていた。女の子も何人かいたのだが、一緒に写真を撮ることができなくて残念だった。日本語で名前を書いてと皆にせがまれ、渡された紙に漢字とひらがなで名前を書いてあげた。有名人になった気分であった。



 

 さらに昼食をごちそうになった。カレーと思いきや辛くなかったが、まあ何とか食べることができた。
 2時過ぎになりそろそろ戻ろうかと思っていると、とまっているバスが出られないほど乗用車がずらずらととめてあった。これでは帰れない。とりあえず車がなくなる端っこまで歩こうと思い歩いた。が、ここからはバスが出ているわけではない。仕方がないので、ヒッチハイクをすべく、少し歩き、帰る車に手を振り続けた。20分ほど待っただろうか、カップルが乗った車が止まってくれて、途中のオスクーという街まで乗せてくれた。感謝感謝。
 タブリーズの街を歩いて感じたのは、他の街よりも、チンチョンチャン口撃が多いなぁということであった。


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