Wednesday, January 12, 2011

2010イラン・アルメニア・UAE旅行

今回は3週間でイラン、アルメニアをメインに旅をした。行きのトランジットが異様に長く、アブダビとドバイを両方行くことができた。



日付おもな出来事宿都市
9/11夜出発飛行機東京日本
9/12アブダビ→テヘラン電車アブダビUAE、イラン
9/13マシュハドVali's non-smoking homestayマシュハドイラン
9/14バザール探索シーラーズ
9/15ペルセポリスバスバス
9/16ゾロアスター教聖地Silk load hotelヤズド
9/17反米デモ
9/18カミーとの出会いAmir Kabirエスファハン
9/19アルメニア人街ハーレム
9/20夜のイマーム広場バス
9/21充実のテヘランMashhad hotel
9/22カスピ海遊泳Sedaghat Guesthouseラシュト
9/23田舎町マスレーバス
9/24カンドヴァンDarya Guesthouseタブリーズ
9/25タブリーズ
9/26いざアルメニアへLyova & sons B&Bゴリスアルメニア
9/27ナゴルノカラバフ共和国エルミラの家ステパナケルト
9/28アルメニアのストリップリダの家エレヴァン
9/29セヴァン湖
9/30エチミアジンアルマヴィア航空
10/1ドバイドバイUAE
10/2エティハド航空東京

Monday, January 10, 2011

不思議の都市ドバイ


ドバイに着いたのは朝の7時だった。観光するにせよ、バックパックをどうにかしなければならない。
ドバイの街中にはエティハド航空のオフィスがあり、チケットを持っていればドバイでチェックインして、リムジンバスで連れて行ってくれる。しかし、この日は金曜で、午前中はドバイメトロが動いていないという。よりにもよってこんな日にドバイとは。まあショッピングモールは空いているし、それくらいしか行くところがない。ドバイモールの中の紀伊国屋が印象的だった。高いが日本書もそろえてあり、漫画も売っていた。
 


 

これが世界一高いというビルだ。上まで上るためには予約が必要らしく、値段も高い。










昼はスパゲッティを食べたのであるが、ここのお店のシステムがすごい。麺やらソースやらはすでにできていて、フライパンも大量に積んである。徹底的に分業されていて機械のように働いているのだ。


ドバイという所は(というかアブダビもそうだが)、2種類の異なった価値観にとって面白いところなのだと思われる。

普通に超近代的なビルが立ち並び、スキー場もあり、ショッピングモールもたくさんあり、オリエンタリズム丸出しの砂漠ツアーもある。そういうツーリスティックな意味での面白さである。お金があって素朴にそういうものを楽しむ人たちはいるだろう。

そうしたものを楽しいと感じない人にとってもある意味面白い部分がある。それはダウンタウンの雑踏である。インド、パキスタン人やその他の出稼ぎの人々でごった返しており、送金屋も長蛇の列である。この国の裏側を垣間見た気がした。

 差別という点ではこの国はすごい。人種によってとれるビザが違うのだという。医療系はフィリピンでタクシーなどは印パキなどといった具合だ。行きの飛行機で出会ったアルゼンチン人の青年が言うには、アライバルビザの時に10万円のデポジットが必要なのだという。国内で何も起こさずに出国すれば返してもらえるのだそうだ。しかも、彼に聞いたら結局未成年ということで入国できなかったらしい。その点日本人は3か月ビザが無料で、しかも即発行される。ここで日本人に求められているのは要するにたくさん買い物・観光してお金を落として行ってくださいということだ。そのためにビザがもらえるのだ。
 アラブ首長国連邦というと、どこか厳格なイスラームの国といったイメージで語られがちだが、こんなひどい国などまったくもってイスラーム的とは言えないだろう。石油で儲けたアラブ人が、科学技術を駆使して、安い賃金で出稼ぎから搾取して、自分はクーラーの効いたショッピングモールで黒いベールに覆われた女性を2,3人侍らすというのがこの国の本質に思われた。

それにしてもこの国の暑さは尋常ではない。サウナだ。というわけで外を歩いたので汗をかきシャワーを浴びたいが、もう帰らねばならない。エティハドのオフィスからリムジンバスに乗り、アブダビ空港へ向かった。

 

アルメニア正教総本山

 9月30日、アルメニアも今日で最後だ。ドバイ行の飛行機は早朝の5時発なので、夜中には空港に行かなければならない。

 

朝食はオズ君がインスタントラーメンを作ってくれた。最後なので、夜も作ってくれるという。
というわけで、総本山といわれるエチミアジンへと向かった。

 

だだっ広いところにハチュカルという石碑がいくつも並んでいる。


 

そしてここが大聖堂だ。中には博物館があり、キリストを刺したというロンギヌスの槍やノアの方舟の破片といったお宝があるという。


これがロンギヌスの槍だ。これを「刺す」にはものすごい力が要りそうだ。
なんとなくアルメニア教会の特徴がわかってきた気がする。

バザールを物色してお土産用のコニャックも買い、宿へと戻った。
暴君のカルロスともお別れだ。
この宿は朝になると、学校に行かせようとするお母さんの怒鳴り声と泣いて嫌がるカルロスの声が目覚まし代わりになる。クレヨンしんちゃんみたいな子供だ。


実は昨晩、ある事情があり門限を過ぎて朝の3時ごろ戻った時、リダはものすごく心配してくれていた。
別れ際も「全くこの日本人は心配かけて」といった感じで、暖かさを感じた。なんていい宿なんだろう。


アルメニアの空港はやたらとSF映画にありそうな「未来的」な形をしている。
乗る飛行機はアルマビア航空という、調べたらブラックリスト、ワースト6位だという。2006年にも墜落事故があったようだ。まあ飛行機は、あまり乗らない人に限って気にするものだが、ある定期便にずっと乗り続けてたとしてもそれが何10年に一回落ちるかどうかみたいな話だ。たかだか一回乗った飛行機が堕ちる確率などかなり低い(と考えることにしている)。実際自分が乗らない間にも世界中で飛行機が飛び交っているのだ。
 というわけで、安全を祈りつつ、というか時間が時間だけに爆睡していたが、ドバイへと向かった。






Sunday, January 9, 2011

セヴァン湖で沐浴

イェレバン2日目ということで、リダの家に泊まるおじさんとともに、セヴァン湖へと向かった。セヴァンの街までバスにのり(400ドラム)、そこからはタクシーで湖まで行った。
 

湖に半島のように突き出たところに修道院がある。アルメニア正教の独特な建築だ。

 

せっかくなのでここでも泳いだ。水はかなり冷たかったが、一度使ってしまえば何とかなった。イラン人も泳いでおり、「サラーム ハレ チェトレ」といたらものすごい喜ばれた。

 

イェレバンに戻り、共和国広場のカフェでおじさんと話していると、同じ宿のオズくんもあらわれた。3人でアルメニアの美女と男のギャップについて語り合った。女性は美人が多いのに、男はみんな坊主みたいな髪型で背も低く、ぱっとしないのだ。それでいて一緒に並んで歩いているから、何か不自然な感じがするのだ。そんな中で撮ったショットがこれだ。













アルメニア版セックス・アンド・ザ・シティといったところか















すばらしい。

その後オズ君と散歩をした。

 

このバザールの感じが、ヨーロッパと中東の間といった感じで面白い。

 

右の建物はアララトというコニャックのブランドの工場だ。他のコニャックよりも少し高い。

 

夜は共和国広場にある噴水ショーが行われる。毎日あるらしい。情報ノートにはこの噴水ショーが終わった時に、噴水を見ている女の子たちに写真をせがまれるのですかさず自分のカメラも出して一緒に写りましょうと書いてあった。かなり期待していたが全くそんなことはなかった。むしろオズ君と一緒に、女の子グループを探して撮りましょうと言ったのだが、特に彼氏というわけでもなさそうな一緒にいた男が、「No」といった。女の子たちは「なぜ?」と笑っていたが、男はそれしか言わなかった。なんというケチだろう。イラン人とは大違いだ。イランではむしろ男たちが一緒に取ろうと声をかけてくる。アルメニアの男は写真嫌いなのだろうか。

Sunday, January 2, 2011

アルメニアのストリップ拝見

 ステパナケルトからアルメニアの首都、イェレバン行きのマルシュルートカは朝8時から出ていた。
またもや途中のチェックポイントで降り、一人だけビザの確認をされ、イェレバンについたのは15時半だった。
 そして、目当てのリダの家を探した。線路沿いのおそらく貧困街と思われる所にあり、一度行けばわかるのだが、初めてだとわかりづらかった。おまけに何度も遊んでいる子供に道を聞いたのであるが、イランと違って親切に教えてくれない。着くのに無駄に時間がかかった。リダの家はリダというおばあちゃんの家で、旦那と息子夫婦と2人の孫、愛想のない娘がおり、一室を宿にしているものだ。情報ノートがあり、多くの日本人が長く滞在していたそうだ。なんといっても一泊シャワーなしで1000ドラムというのは破格である。3ドルしないのだ。しかも歩いて行けるところにシャワー屋がある。シャワー屋は30分500ドラムであるが、複数人でも使用でき、交渉して3人で10分ずつ使ったりもした。









 この子は2人いる孫のうち、上の子のほうでカルロスという。かなりのいたずら小僧だ。情報ノートにも多くの武勇伝が書いてある。
 宿では、大阪出身のおじさんと26歳の韓国人のオズ君と一緒だった。


 

メトロに乗り、街の中心地へと向かった。カスカードというアルメニア50周年記念のモニュメントへと向かった。斜面の上に塔があり、それに向かって斜面が整備され、エスカレーターが整備されているのだが、まだ途中までしかできておらず、完成にはまだまだかかりそうだ。上からはイェレバンの街が一望できる。斜面の角度もうまく計算されているようだ。


夜は、少しリッチにイタリアンレストランに入った。麺好きなのでスパゲッティが食いたくなったのである。
 


いくらだったか記録し忘れたが値段もそれなりのヨーロッパプライスだ。

夜は、宿の2人とともに宿から歩いてすぐのところにあるストリップバーへと向かった。
このストリップバーはブルガリアと同様、ポールがあり、音楽に合わせて女の子が踊り、チップをあげてサービスしてもらう仕組みだ。服は上しか脱がない。メニューにはキスや写真の値段が書かれていた。
 ここは変わったところで、音楽の途中で店員が突然歌を歌いだす。 歌われても・・・といった感じで反応に困る。 
 スラーとっしたかわいい女の子もおり、こちらの席にもアピールしていた。「ハラショー」とだけ言っておいた。現地のやんちゃそうな青年が何度も呼び出して何かをしてもらっていた。ボンボン息子なのだろうか。

 








大変スレンダーな女の子ばかりでいいのだが、不満はアルメニアの女の子ではないということだ。おじさんの話では、おそらくウクライナとかから来てるんだろうということだった。確かに、髪は金髪で、髪、眉の黒いアルメニア顔ではない。それからこの日だけかもしれないが女の子は5人だけで、回転がやたらと速かった。一回行ってみて、ビールだけ飲めば十分だ。

Saturday, January 1, 2011

ステパナケルトという街

 ゴリスは宿の近くにある川を渡った所にある山にこれまたカッパドキアのようなところがあるらしい。朝少し早く目が覚めたので散歩をすることにした。ただ、ロンプラにも詳しく載ってないし、雨上がりなので足場が悪かったので引き返した。もう少し時間を取っていくべきだっただろう。

 朝食を食べた後は、噂の自称ナゴルノカラバフ共和国へと行くことにした。国際法上はアゼルバイジャン領内であるが、紛争以後、住民は全てアルメニア人でアルメニアの傀儡政権が統治し、ナゴルノカラバフ共和国を名乗っている。国旗も「アルメニアの一部です」と言わんばかりのデザインである。国家承認しているのはアルメニアだけである。
 10:30発のマルシュルートカ(1750ドラム)に乗り、途中国境らしきところにあるチェックポイントでパスポートを見せ、13時にはステパナケルトのターミナルへとついた。まずはナゴルノカラバフ外務省に行って入国登録をしなければならない。行くとちょうど午前の部は終わりと言われ、14時まで待つように言われた。対応した係員はいかにもお役所仕事で態度が悪かった。14時に来た係りの人は愛想がよくウェルカムと言ってくれた。ビザは3000ドラムだ。字は手書きであるが、デザインがカラフルなので結構気に入っている。ただし、これがあるとアゼルバイジャンに入れないらしい。。まあ行くことはないと思うが。



宿はエルミラの家という民家に泊まった。シャワーはなしで3000ドラムだった。ただし、イェレバンでみた情報ノートによると、値切れば2000ドラムになるらしい。本体の家の2階にある部屋にベッドが5個くらい並んでいて、外の階段から入れる仕組みだ。


宿が決まったところで、シューシという、かつて戦争で廃墟となった村へ行った。タクシーで30分ほどである。廃墟もたくさんあるが、人も住んでいる。天気が曇っていたということもあったが、あまりいい感じがしなかった。



 ステパナケルトに戻り、この国のシンボルである、パピクタティク像(われらの山)に行った。まあ特になんてことはないが、ここまで来ておいて行かないのはもったいないな程度のものである。


 








夜はケバブ屋でケバブを買い、ビールと一緒に楽しんだ。宿では夜中になってアルメニア人が泊まりに来た。はじめ泥棒かとおもって警戒していたが、向こうが寝るのを見届け、眠りへとついた。